ここでは、僕の自己紹介含め僕の音楽人生を振り返りながらみていきます。興味がお有りの方はご覧になってください。
親父はジャズギタリスト
僕の親父は人口15万人程の街で会社を経営しているジャズギタリストでした。
昔はプロを目指して、僕の街で音楽をやっている人は親父を知らない人はいないくらいギターの腕があり有名人でした。
ライブオファーが色々な所(ホテルやバー)から来ていたので、社長として会社を経営していながらライブでギャラをもらっていました。
ギャラで生活していたわけではないのでプロのジャズギタリストというわけではないですが、そこそこ良い金額結構もらっていたようです。
そんなわけで僕の家にはギターはもちろん、ピアノが置いてあり、毎日の食卓にはジャズか親父が好きなThe Beatlesの音楽がいつも流れていました。
母は昔ピアノを習わなかった事を後悔していて、そんな思いを子供たちにしてほしくないという事で、三兄弟の僕たちに3歳からピアノを習わせました。練習や、レッスンは大して本気でやっていませんでしたが、音楽に対する興味と絶対音感が身につきました。
いつも音楽と触れ合える状況を作ってくれた親には感謝です。
ギターに初めて触れたのは中学生
そんなこんなで中学生の僕は音楽にどっぷりハマりました。
家には親父がレンタルで借りてきたCDを自分でコピーしてコレクションしていたり、昔買ったCDがたくさんありました。
例えばThe Beatles(ビートルズ)、The Eagles(イーグルス)、The Monkees(モンキーズ)、The Kinks(キンクス)などなど、ものすごい量のCDやレコードがありました。
それを順番に聞いていきました。中でもハマったのはビートルズでした。
まずは一つのアルバムをリピートで曲順を覚えるくらい聞きまくり、ポールマッカートニーのハモリをひたすら歌いました。
そうしているうちにギターを弾いてみたいと思うようになりました。家にはギターはたくさんあったので、とりあえず親父が持っているビートルズの譜面を見ながらギターを弾き始めました。
今でも覚えています。ビートルズの”I Should Have Known Better”でGとDのコードチェンジをひたすら練習していた事を。
その時ローコードのB7の形が好きになったのも覚えています。
サッカー部をやめてギターや映画を楽しむ高校生活
高校に入ったら軽音部ではなくサッカー部に入部しました。その頃は小学校からやっているサッカーに夢中でした。朝から晩までサッカー、家に帰ったら勉強。そんなギターを弾かない生活がしばらく続きました。
高校2年性になる頃に、先輩や顧問の先生が怖い事や、もう走って疲れるのが嫌だった事が原因でサッカー部をやめる事を決意しました。
やめてからの生活はかなりグダグダ生活で、今考えても当時何をやっていたのか全然思い出せません。そのくらいダラけて過ごしていたと思います。
かすかに覚えているのが、その当時のJ-popを弾き語りしていた事です。ネットで歌詞やコードを印刷してファイル入れて保管していました。
あとは勉強していたか、WOWOWで映画を見る毎日でした。
大学2年の春、初めてギター購入
なんとか国立大学に行く事が出来た僕は、実家から1000km程離れた県で念願の一人暮らしを始めました。
大學生活はとても楽しく、たくさん友達もできました。
そんな中、ギターを始めた友達がちらほら出てきます。
その友達が「俺今ギターやってんねん。」と言ってギター聞かせてくれましたが、全然弾いていない僕の方がうまくて、友達たちはなぜそんなに僕がギター弾けるのか不思議がっていました。
今まで必死に練習した覚えはなかったのですが、簡単なコードくらいは弾ける状態でした。
「あれ、俺結構ギター弾けるじゃん。」
と勘違いした僕はギター購入を決意。
ギターを始めた(再開した?)理由の1つとして、親父にギターうまくなったところを見せてビックリさせてやろう!というのがありました。
すぐに僕は楽器屋さんではない何でも屋さんみたいなお店に行き、そこで8000円のギターとカポとチューナーを買ったのでした。
軽音楽部に入部
半年ほどギターをひたすら練習した後、軽音楽部を訪ねました。
そこで入部しバンド活動や、人間関係の色々めんどくさい事を学び、結局1年半ほど在籍し、軽音楽部をやめました。
ギターを爆音で鳴らす気持ち良さを知りましたね。そしてボーカルの難しさも再認識しました。
社会人
地元に帰り、僕は定期的にオープンマイクという形式でライブをやっているお店を訪ねました。
そこで僕は本格的に音楽をやり始めることになります。
続きはそのうち書こうと思います。